【50代、60代の転職】遺言書があれば延命治療で苦むことはなかった

昭和の懐かしい気動車運転台 経験談(雑談)
昭和の懐かしい気動車運転台

50代、60代の方が、定年退職や早期退職などで介護業界に転身を検討されるケースが増えています。
未経験から施設長や介護職を目指される方に向けて経験談を発信します。

高齢者施設の施設長は、高齢者の疑似家族のような立場になります。

あくまでも疑似なので、本物の家族の決断の前では無力です。



この記事では有料老人ホームの施設長で「遺言書があれば延命治療で苦むことはなかった」という体験したお話を記します。
この事例は財産相続が絡むお話です。

老人ホームは疑似家族であるようなものとよく言われますが、家族ではありません。
その場にいた私自身も断腸の思いでしたが、何もできませんでした。

要介護の資産家

混在型(健常者と要介護者が入居)の有料老人ホームで施設長をしていました。
2000年代の話なので混在型の事例がなく、ネット上にも情報が少ない状況でした。

要介護の方と健常の方が一緒に暮らすというモデルで運営していました。
今となってはそれがかなり困難を伴うことはわかってきました。

当時は措置制度から契約制度に移行した直後であり新しいモデルとして各施設がしのぎを削っていました。
単身で入所されている男性がおられました。

下肢の障害のため立つことができず車いすで生活をされていました。
認知症はなく記憶力も判断力も問題の無い方でした。

車いすに乗る高齢者の男性

地域の有力企業のオーナーで、ときおり会社に出社されます。
施設内での生活もかなりのわがままぶりでした。

それでも情にもろく、経済力がある方でした。
年齢的にはお若く、70代前半の方でした。

家族は、妻と娘二人ですが、妻とは離婚の話が持ち上がっていました。
キーパーソンは長女でした。

容態急変・救急搬送・大量吐血

夕食後、老人ホームの居室内で少量の吐血がありました。
救急車で地域最先端の救急病院に搬送しました。

その病院は優れた先進医療で、海外の要人もわざわざ受診に来られるレベルの病院でした。
緊急対応の為、老人ホームの施設長であった私は救急車に同乗しました。

緊急でCTを撮ることになりCT室に搬送された直後、CT室で多量の吐血がありました。
CT機、床、壁にいたるまで血のりがべったりと点いている光景を見ました。

赤いしぶき

医師が呼ばれてCT室に飛び込み、他の検査室に搬送されました。
ご本人の意識はもうろうとなっていました。

長女はほどなく病院に到着されました。
医師からは「施設職員にも聞きたいことがある」ということで帰られてもらえませんでした。

救急科、消化器内科、呼吸器科、循環器内科、血液内科…多くの医師が入れ替わり立ち代わり診察されました。
なんども検査されましたが、吐血原因の特定に至らないまま夜明けを迎えました。

延命治療を選択

総合内科の医師から長女に説明がありました。
私は家族ではないので直接説明は受けられず、部屋の外に居ました。


室外に話の内容は漏れ聞こえてきました。
それは医師から治療(延命治療)を継続するかどうかの打診でした。

延命治療を確認する医師  

延命治療を断る高齢者

延命治療を主張する長女

医師:各専門医の目で吐血原因の原因を診察しました
今の段階で原因が特定できていません。
さらに原因を究明するためには、かなりの苦痛を伴います。

原因が特定できて治療を施しても、寿命は長くはないことが想定されます。
どうされますか?

長女:治療を続けてください、生かしてください、まだやらなくちゃならないことがあるんです。

医師:えっ…
!?

長女のあまりに早い即断というか独断で私も驚きました。
語気も強かったので、医師も絶句されていました。


ご本人:もういいよ、疲れたよ…


普段は強気で強引な方が、消え入るような声で言われた言葉が哀しく響きました。

長女:何を言ってるの、これから戦わなくちゃいけないでしょ、

弱気になってる場合じゃないの、
お母さんと妹に(財産を)全部取られるのよ、絶対ダメ。戦うのよ。

ご本人:・・・(室外の私には声は聞こえなかったが勢いに押されて頷いたと思われます)


医師:わかりました。では治療を続けます。


延命のためにかなりの苦痛を伴う検査が再開されました。

その後、私は解放されて施設に戻りました。

遺言作成

数日後に一命をとりとめたと長女から連絡がありました。
意識はあるが身体はほとんど動かない状態で施設に帰ることは無理です、と言われました。

遺言書を作成するため、弁護士を呼んで唇の動きでYES、NOの意思表示を確認して遺言書を作成された、という話は後日聞きました。

遺言書

おそらく長女にとってかなり有利な遺言であったと思われます。
さんざん苦しんで痛い思いをして延命治療を受け、遺言書を作成したその数日後には帰らぬ人となられた、ということです。

長女が遺言書にこだわった理由

長女の狙いは父がオーナーであった会社の経営権であったようです。
長女、次女それぞれの娘婿が会社の経営権を引き継ぐ目論見でした。

母と次女が「反父親連合」を形成していました。
長女は父と連合を組んでいました。

遺産をゲットした長女

もしも遺言書が無ければ、離婚が成立していない妻が2分の1を相続します。
長女と次女がそれぞれ4分の1を相続します。

こうなると会社の経営権は次女の娘婿となります。
長女にとっては、自分の夫が経営権を握るために遺言書が絶対に必要でした。

まとめ

この方の容態の急変は全く想定外でした。
ご本人も長女にとっても「まさか」の事態であったようです。

遺言書があれば延命治療で苦むことはなかった。
老人ホームは疑似家族のようなものであるとよく言われます。

普段は家族のように過ごしてきたので、私自身も断腸の思いでした。
「もういいよ、疲れたよ…」と言われた言葉が今も耳にのこっています。

大量吐血のあと、夜通し検査を受け、原因不明、余命わずか。
このような宣告を受けてなお、苦しい検査と治療を受けさせられる心中はいかばかりか。

この経験を経て、高齢者に事あるごとに遺言書を残されることをお勧めしています。
施設長として生活を支えてきた高齢者が辛い思いをすることは避けたい。

施設長の立場ではそうなる前に助言することしかできません。
ただ、それはその方の終盤人生にとってとても大切な助言になります。

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