「私の苦労を知ってほしい」と思う高齢者(介護業界で経験)

経験談(雑談)
氷の滝

50代、60代の実年世代で定年退職や早期退職などで介護業界に転職し、介護職を目指される方に向けて介護の仕事を紹介します。

訪問介護以外の業態の介護職は、無資格でも就業できますが、介護の仕事に就かれる際には、あらかじめ資格取得されることをお勧めしています。


資格取得のための講習で得た知識や技術は、自身の心身のストレス軽減にもなります。

転職によって余計なストレスを抱え込まないためにも、資格取得をお勧めします。

この記事では有料老人ホームの施設長で「私の苦労を知ってほしい」と思う高齢者がおられたのでそのお話を記します。

背景

混在型(健常者と要介護者が入居)の有料老人ホームで施設長をしていました。

2000年代の話なので混在型の事例がなく、ネット上にも情報が少ない状況でした。

要介護の方と健常の方が一緒に暮らすというモデルで運営していました。

今となってはそれがかなり困難を伴うことはわかってきましたが、当時は措置制度から契約制度に移行した直後であり新しいモデルとして各施設がしのぎを削っていました。

現代とは事情が異なる点があるかもれませんが、あらかじめご了承ください。

90才 要介護1 女性

ご主人を戦争で亡くされ、独居をされていたが、身の回りのことができなくなって老人ホームに入居されました。

日常生活動作は自立で、トイレも一人で行って用を足せます。

歩行器を使ってゆっくりと歩かれ、転倒の頻度はさしてない方でしたが、体が大柄であったため、転倒すると立ち上がれないので独居が難しくなった方でした。

一代記をいただく

入居して間もなくご本人より「聞いてほしいことがある」ということでお部屋にお伺いしました。

居室に伺うとベッドに腰を掛けておられ、ご本人が書かれた一代記を差し出されました。

ご主人を戦争で亡くされたが、ひとりで3人の子供たちを育てて一流の大学を卒業させた、という概要をお話しされました。

いただいた本は厚さ5mm程度の冊子であったので「読ませていただきます」とお応えして退室しました。

戦中戦後

ご主人に赤紙(招集礼状)が届いて送り出したことから始まり、ご主人を戦争で亡くされたのでした。

ところが当時の敗戦前の混乱のため戦死の記録がなく、戦死認定されずに補償がない状態になりました。


国の戦死認定を受けられず、近所の人からは「戦地で逃げたらしい」と勝手な噂を立てられた。

ご主人の名誉にかかわることで、くやしくて戦地で一緒になった人を捜し当てて、逃げずに戦いに出て戻ってこられなかったことを証言してもらった。

それでも戦死の認定は受けられなかった。

でもしか教師

子供が3人居るので悲しんでばかりはいられない。

でも働いたことがない(当時は専業主婦がほとんどで)仕事がない。

仕方なく「教師でもやるか?」、「教師しかできないだろう」と言われて地元の小学校で教員の端くれにおいてもらった。

「いわゆる『でもしか教師』なんです」とご本人の弁を借りましたが、戦後間もないころは、教員免許もあやふやで、大人が子供を教える、という延長線上に「でもしか教師」があったということです。

専業主婦に教えられる教科もなく家庭科を中心に国語も少し教えたということでした。

終戦から10年以上経過してようやく戦死認定され、補償が受けられるようになりました。

それらを経て何とか食いつないで、子供たちを育てて3人とも一流の大学を卒業させた、というお話でした。

私が出会った当時(有料老人ホームに入所されたとき)は公務員の年金と戦死者の遺族補償も受けておられ、経済的には不自由のない生活をされていました。

苦労自慢?と受け止められてしまった

他の入居者にも職員にもそういう話を何度もされました。

一代記も1冊ずつ丁寧にですが、かなりの数を配布しておられたようです。

非常につらい経験をされてその気持ちを分かってほしというお気持ちなのですが、次第に周囲に人が集まらなくなりました。

避けられている空気感が見て取れました。

他の入居者からは「私だって戦争で苦労してる、みんなそう、何度も苦労自慢をされても…、みんなそれぞれ人に言えないようなことも乗り越えてきたんだから…」というようなご意見もいただきました。

戦争を知らない世代にとっては壮絶な人生経験に思えたのですが、同世代の方にしてみれば「よくある話」という反応でした。

戦没者追悼式

ある日、戦没者追悼式の案内状を持ってこられました。

日本武道館で開催される戦没者追悼式に出席したいとのご意向でした。


お子様や親族に頼んでも付き添いできないというので、施設のスタッフが付き添ってほしい、というご要望がありました。

有料老人ホームなので別料金の有料サービスで外出の付き添いも請けていました。

しかしながら、宿泊を伴う付き添いは前例もなく人の手当てができなのでお断りしました。

その後も何度も来られ、泣きながら「行かせてくれ」と言われます。

その方の体力的にも困難と判断して、医師からもとめていただきました。

それでも「行って死んでもいいから」と言われて泣いて過ごされました。

護国神社参拝

なんとかご本人の意向を実現できなかと戦没者追悼式の事務局に問い合わせました。

事務局より「地域の護国神社でも戦没者の慰霊をしています。そちらにお参りいただければ、こちら(日本武道館)に来られるのと同じこと(英霊の供養)になります」との見解をいただきました。

地域にある護国神社でも英霊をお祀りされているので、護国神社にお参りしましょう、という折衷案としてお話をすると涙ながらに喜ばれました。

ご家族より「宿泊を伴わないのであれば同行できます」と言っていただき、施設の車で送迎をしてご家族とともに護国神社に参拝されました。

まとめ

「人に歴史あり」とよく言われますが、高齢者それぞれに歴史があります。

私の経験上、「それを知ってほしい」と思う方、「もう過ぎ去ったこと」と流している方、「過去に触れられたくない」と思っている方など、人の歴史の扱いについてもそれぞれの想いがあるようです。


高齢者介護の仕事は、その人の歴史の扱いについてもそれぞれの考えに沿って寄り添うことが望まれる仕事であると思います。

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