介護の仕事の魅力②(会社の落日・絶望から救われた体験談)

介護業界をお勧めする理由
落日を横切る船(淡路島)

私は介護の仕事に救われました。

私の経験をさらけ出すことで、50代、60代の同世代の方に何かを感じていただけたら幸いです。

余剰人員対策に携わりました

介護の仕事に就く以前、大手メーカーの子会社で取締役部長に就いていました。

そこそこ業績の良い部門でしたが、上部組織から余剰人員を押し付けられて受け入れる側の立場になりました。

いままで業績が悪くても給料が右肩上がりで上がってきた人が、突然余剰人員となって突然の人事異動でやってきます。

子会社は人件費が突然膨らむので経営的に危険水域になります。

経営体を守るために本業がありながらも、余剰人員対策も本腰を入れて取り組まざるを得ません。

たしかに、余剰人員と呼ばれる人は、本人の労働力の市場価値を大幅に上回る給料を貰って会社の業績の足を引っ張っている側面があります。

しかしながら、それに気づきながらも波風を立てずにいい顔をして使ってきた組織や上司にも多大な責任があります。


その「あと始末」が回ってきたのでした。

部長職はマシーンだった

リストラをしなければならない立場に追い込まれると、人の心を見なくなり、自分も心をふさぎます。

私が見る限り、リストラを進める側も誰も好き好んでやっていません。

人から忌み嫌われ、身の危険を感じる人もありました。

その立場になって心が病んで求職した仲間もいました。

部長職同士、深夜まで残業しながら余剰人員対策を検討します。

「組織にも責任があるんだし、心が痛むな」と誰かが口にしました。

「俺ら、経営目標マシーンだから、心を持っちゃぁイケナイ」と別の部長が言いました。

「そうか、マシーンか・・・」一緒に仕事をしていた部長職同士、自嘲気味に笑いました。


なんとも暗い雰囲気で、部長職はマシーンのあつまりでした。

余剰人員もマシーンだった

余剰人員として異動して来た人にいきなり担当できる業務はありません。

私はキャリアの再構築に取り組んでもらおうと、課題を与えて論文を書くよう指示しました。

自分で調べてまとめることで新しいキャリアが身につくきっかけに期待しました。

対象者は、毎日、まじめに論文を書いて出して定時に退社しました。

私は他の仕事が忙しく、提出された論文を数日遅れて目を通しました。

すると、そのうちの一人の論文を読んで目を疑いました。

最初の3行くらいはタイトルに沿って書かれていますが、それ以降は初日の論文そのままでした。

私は驚いて問いました。

「なぜ、同じことを書いている?」、「課題が違うから内容も違うはずだ」、「初日の課題の論文は2日目以降の課題には的外れだ」、「キャリアの再構築を考えているのだから、前向きに取り組んでほしい」、「これは仕事だからしっかり取り組んでほしい」など、お話をしました。

相手の反応は「はい」、「はい」、「はい」と一つひとつの問いかけに、逆らうわけでもなく、言い訳をするでもなく、単調で素直で無表情で肯定的な返事を返してきました。

「そうか、開き直って会社にしがみついているのか…余剰人員もマシーンなのだな」と納得すると同時に、無力感と脱力感に包まれました。

会社の落日

多くの余剰人員を抱え、業績は急速に下降し、事業の存続が危うい状況にまで落ち込みました。

そんなとき、ありがたいことに私に成長分野から異動の打診がありました。

マシーンになり切れなかった私は、困窮する仲間を見捨てて異動する気になれず、仲間とともに異動できないか打診しましたが「一人で来てくれ」と条件が提示されたため、お断りしてしまいました。

そうこうするうちに、組織の再編などが進み、どうやら自分に残された道は「あと始末」だけになるなぁ、と感じました。

「夏草や 兵どもが 夢のあと」芭蕉の句が浮かびました。

「自分は夏草になるのかな」そんな思いが頭をよぎりました。

早期退職を決意

早期退職を決意した理由は一つではなく、いくつかありますが、これもそのうちの一つです。

50才を超えているので、若い人に仕事ではかなわない。

最新の知識も判断力も説得力も40才前後の若手にはかなわない。

やりがいのある仕事を求めても、会社の成長は止まっている、自分の力ではどうにもできない。

マシーンとしてではなく、人間として人と普通に話がしたい。

そんな思いをもって早期退職を決意しました。

実際には組織側の事情があってすぐに辞めることができませんでした。

人事異動でもうひとつ職場を経てからの退職になりました。

そうして、以前に経験したことのある介護事業への転身となりました。

まとめ

ここまで書いて、読み手の方がどのように感じられるか、状況が伝わっているのか、少し思いが至らなかったかもしれません。

ただ、10年経ったいまでも、ここに記すことができないような出来事もあり、私自身も心を病むリスクがあったのは事実です。

介護の仕事には、ふれあいがあり、笑顔があります。

マシーンとしてではなく、人間として人と会話ができます。

創意工夫が目に見える成果につながります。

私はマシーンの世界から脱却し、人と接する世界に入ることができました。


介護の仕事に救われました。

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